ぽろぽろ

しょせんたわごと

2020年6月、思うこと

6月の嵐とわたしについて書こうと思う。

なにかを語りたいと思って書いているわけではない。なぜこんな自分で自分の首を絞めるようなことをしているのかもわからない。けど、なにか形にして残しておかないと、消えてしまう気がする。嫌な記憶というのは、人間はすぐ蓋をしてしまうから。

残り半年。

 

6月14日現在。とにかくわたしはわからなくなってしまった。嵐のこと、櫻井くんのこと、自分のこと。なにがわからないのかもわからないけれど、櫻井くんの顔をみて、嵐をみて、大好きな人だと思うと同時に知らない人だと思ってしまう。

たぶん、voyageを見ていないのが大きいのだと思う。いやみろよという話ではあるのだが、どうしても見ることができない。そのくせ自分以外の人に櫻井くんを語られるのがどうしてもいやで、5月下旬から6月頭まではTwitterすらログアウトしていた。久しぶりに戻ってきたらなんか知らんがみんな病んでいて、ちょっと安心した。マイホームくさいな、と思った。

わたしは「知らない」ことに対しての恐怖心が人より少し大きいというか、「知らない」のなら語ってはいけない、話してはいけないと考えてしまいがちみたいなところがあって。調べても調べても知らない櫻井くんがたくさん出てくることに絶望したのはたしか高校2年の頃だったか。そこからわたしは、わたしだけしか知らない、わたしのためだけの、櫻井翔くんという虚像を作り上げました。情報や感情をパッチワークみたいにつなぎ合わせて、都合の悪いところはねじ曲げて、だれにも理解できない、わたしだけの、大事な大事な、つぎはぎだらけの櫻井翔くん。

わたしは、好きでいることに対してもそれ相当の努力が必要だと思っている。努力しなきゃ好きでいられないなんて本当に好きなの?と思うかもしれないけど、すべてが好きなんてそんなのちゃんと見れば見るほど無理じゃない?思ってしまう。それこそ顔しか見てないとか、歌声しか好きじゃないとかだったら、まあ可能ではあるけれども。彼の考え方に触れて、彼の感情に、信条に、美学に触れて、それまでひっくるめてもっと知りたいと思ってしまったのなら、わたしがわたしのままで1人の人をずっとずっと文句一つ言わずに好きでいるなんてむりな話。でも彼を変えることはできないから、わたしを変えるか、わたしの中の櫻井くんを少し変えるか、どちらかしかできない。それをわたしは努力と言っているだけで、別にたいしたことはしてないんだ。そうまでして「好きでいたい」と思えることこそが愛なのではないかとわたしは思うんだけど、そう思わない人とはめっきり話が合わない。まあ、話し合ったこともないけれど。

櫻井くんから得た情報をつなぎ合わせるのが上手かったのか、文脈を汲み取るのがうまかったのか、わたしが使った表現と同じような表現を櫻井くんも使っていたり、根拠となるエピソードが同じだったりで、なんか、とても櫻井翔に近い櫻井翔(虚像)がわたしの中で出来上がった、と思っていた。わたし、櫻井くんのこと超わかってるじゃんと思っていた。思い込んで、完全なる勘違いオタクになっていた。から、ぜんぜんわからなくなってしまった時、なにを信じればいいの?となる、なっている。最近の櫻井翔、全然わからない。わたしが作り上げた櫻井くんはうんともすんとも言わなくなっちゃった。あーあ。守りすぎたのかな。腫れ物に触れるみたいな扱いしてたから?怒っちゃった?

それでもやっぱりカイトのリリースが決まり、ファンクラブ限定で特別盤を出してくれることに対して愛しか感じない。知らない人と思ってるくせに、この愛は知ってる、わたしがずっと欲しいと思ってるものだってなる。わたしはたぶんちょっと、混乱しているのだと思う、6月14日。

 

カイトが手元に残る、円盤として手元に残る、想像以上に嬉しい、想像以上に楽しみにしている。

デジタルシングルがリリースされるたび、円盤化しろ😡と言っていたけど、はあ、手元に残るってこんなに嬉しいんだ。わたし、嵐のシングルとか、アルバムとか、DVDとか、当たり前のように買っていたけど、もはや条件反射のように買っていたけど、単純に純粋に欲しいから買っていたんだなあと改めて実感した6月15日。

思い出すなあ、とりあえずAmazonで予約して、近所のGEOで予約してAmazonは予約取り消し、GEOでフラゲがお決まりパターンだったなあ。部活中とかにリリース発表されると絶望で、あ〜初限買えないかも、、、って泣きそうになったり。パパに他の市まで取り寄せしに行ってもらったり。テスト終わるまで開かないぞって心に決めて、テスト終わった瞬間激チャで帰って何回も何回もMVみたり。

出来るだけ早く届けたいからっていう理由でデジタルというツールを選んでくれたこと、それは本当にありがたいし、その想いは伝わってるんだけど、やっぱり実際に手元に残るものは特別で。

ジャケ写のビジュがいい!って騒ぐのも、メイキングとMV何回めだよって家族に呆れられるぐらい見るのも、カップリング曲にときめくのも、フォトブックを1ページ1ページじっくり読むのも、全部含めて楽しみだったから、やっぱりこの楽しみは特別だなあって改めて実感しました。また味わえて嬉しい、とても楽しみ。