書き殴り
「泡のように嘘だったと 消えたりしないでね」なんて歌うaikoは、本当に愛おしい人が泡のように消えてしまうと思って、この歌詞を作ったんだろうか。
嵐がいなくなったらどうしようなんて泣いていたあの頃のわたしは、本当に彼らがいなくなる未来を予想して泣いていたのだろうか。
永遠に、甘えていただけだと思う。
物心ついたときからアイドルが好きだった。20年間生きた中で、そのほとんどはアイドルに夢を見てきた。そしてあるときから疑問に思い始めた。
アイドルがみせてくれる夢って何だろう。
ずっとわからなかった。ここぞとばかりに「夢を見せてくれてありがとう」なんて語ってたのに。わからないまま感謝して、涙流して、語ってた。
大事なものは失って初めて気付くとは、よく言ったもので。
大事な、大好きな嵐が活動休止を発表して、初めてわかった。
夢ってきっと、永遠のことだ。
わたしは、嵐というアイドルに、「永遠」を求めていたんだ。
永遠なんてこの世には存在しない。20年も生きてれば、そんなことわかる。
でも彼らは、当たり前のように「ずっと」なんて言葉を使う。
それが悪いことだとは思わない。それが仕事だ。わたしたちはそれを、信じて疑わなかった。
永遠なんてないと、涙を流すオタクを、ここ数年だけでも嫌というほど見てきたのに。
それでも嵐だけは、もしかしたら、なんて心のどこかで思っていたわたしたちは、どうしようもないくらいに浅はかで、どうしようもないくらいに愚かで、どうしようもないくらいに愛に溢れている。
永遠が、壊された。本人たちの手で。壊された。
どうすればいいんだろうねって、あの日電話で話を聞いてくれた友達にひたすら問いかけていたのを覚えている。
どうすることもできないのに、ただひたすら正解を求めたのは、単にわたしが弱いオタクだからだと思う。
正解を誰かが示して、それに縋って生きた方が楽だ。自分で答えを見つけるのなんて苦しい。辛い。考えたくない。
どうすればいいのかわからない。
これまでずっと、「アイドルオタクなんて所詮自己満でしょ」だなんて開き直って、自分が幸せになるためだけに嵐を応援してきた。
でも、今は、どうすれば自己を満足させられるのかがまるでわからない。どうすればわたしは幸せなのかがわからない。
ああ、永遠だと思っていたしあわせは、もう永遠じゃないんだ。
そう思うと涙が止まらなかった。
嵐から徹底的に距離を置くことで、ようやく自分を保っていられた。このやっとの状態で、わたしは幸せになることなんてできるのだろうか。
わたしは、あなたたちに幸せになってほしいわけじゃない。あなたたちに幸せにしてほしいんだよ。
解散じゃないからいいなんて、そういう問題ではないんだ。
わたしが彼らにみた夢は、有限性が与えられた時点で、もうとっくに醒めている。
でも、それでも、やっぱり結局は嵐が好きだなんて馬鹿みたいな思いが1番強くて。
性懲りも無く、まだ彼らに夢をみていたいと思ってしまう。「永遠」を期待してしまう。
それでいいんだと思う。
発表の日から1週間とちょっと。ずっとどうすればいいかわからなかったけど、ようやく、道が少し見えた。メソメソするのはもうやめよう。逃げるのはもうやめよう。
2年しかない。でもあと2年も、彼らに夢をみていられる。
発表以来初めて聴けた嵐の曲。シャッフルで流れてきたのは「君への想い」。ドラマみたいでちょっと笑ってしまった。
受け入れることなんでできないから、しようとしないよ。
でも、あなたたちにも幸せになってほしい。
ずっと、自分が幸せにしてもらうことだけを考えてきたけど、
今そっと あなたたちの幸せも願うから。
幸せになろうね。
書き殴ったこのポエムみたいな自己満足ブログは、きっと彼らに届くことはないだろう。
届かなくてもいい。
綺麗に清書された、だれかの文だけ届けばいい。